由紀さおりさんは、1969年の大ヒット曲「夜明けのスキャット」で一躍有名になり、その後も多方面で活躍を続けています。
しかし、彼女のプライベートについてはあまり知られていません。
今回は、由紀さおりさんの出産に関する真相や家族との絆、そして彼女の人生の魅力に迫ります。
由紀さおりの出産の真相とは?
由紀さおりさんは、これまでに結婚歴はありますが、出産して子どもを授かることはあったのでしょうか?その背景には、彼女の壮絶な経験が関係しているようです。
由紀さおりに子どもはいるのか?
結論から言うと、由紀さおりさんにはお子さんはいません。
彼女は二度の結婚を経験していますが、いずれの結婚生活においても子どもを授かることはなく、その背景には、彼女のキャリアや健康上の問題が影響していると考えられます。
由紀さおりが病気を乗り越えた過去
由紀さおりさんは、歌手としての成功を収める一方で、私生活では多くの試練を乗り越えてきたようで、特に、40代での健康問題は彼女の人生に大きな影響を与えました。
37歳のとき、由紀さんは子宮筋腫と子宮内膜症を患い、月の半分は腹部に激痛が走る日々を過ごしており、医師からはホルモン治療を勧められましたが、副作用で声が変わる可能性があると告げられ、歌手としてのキャリアに支障をきたすことを懸念しました。
その後、痛みに耐えながらも治療を受けずに過ごしていましたが、ある日、母親に苦悶している姿を見られ、とても心配をかけたようで、最終的には、子どもを持つことを諦め、41歳で子宮全摘出手術を受ける決断を下しました。
由紀さんは歌手としての道を選び続け、現在も精力的に活動を続けていて、彼女の歌声には、これらの試練を乗り越えた強さと深みが感じられますね。
由紀さおりの元旦那について知りたい!
大森昭男さん
大森昭男さんは、CM音楽プロデューサーとして多くの名作を生み出し、彼の手がけた作品は3000曲近くに及び、その才能は業界内外で高く評価されています。
画像出典元:まとめダネ!
柴冨哲也さん
柴冨哲也さんは、アメリカ在住の日本食プロデューサーであり、ネットワークビジネス業界でも知られる存在です。
彼は「ジェネシスピュアジャパン」の代表取締役社長を務めていたこともあります。
画像出典元:onmyoji-stage.jp
由紀さおりの結婚歴と家族関係の秘密
前述の通り、由紀さおりさんは、これまでに二度の結婚を経験していますが、二人との関係についてもう少し深く探っていきます。
最初の結婚:大森昭男さん
1969年、由紀さおりさんが20歳のとき、12歳年上のCM音楽プロデューサー・大森昭男さんと結婚しました。
大森さんは、サントリー「南アルプスの天然水」やキリンラガーなど、多くのCM音楽を手がけたことで知られています。
画像出典元:X.com
二人の出会いは、なんと由紀さんが中学3年生の頃にまでさかのぼり、高校卒業時には大森さんからプロポーズを受けましたが、父親の反対により短大卒業まで結婚を待つことになりました。
結婚後、由紀さんの仕事が多忙を極める中、夫婦の時間が減少し、価値観のズレが生じたようで、その結果、結婚7年目に別居、14年目の1983年に離婚が成立しました。
二度目の結婚:柴冨哲也さん
その後、由紀さんはアメリカ在住の日本食プロデューサー・柴冨哲也さんと出会い、8年間の交際を経て事実婚の関係となりました。
しかし、由紀さんの母親の猛反対を受けることになります。
それによって、再婚や渡米、歌手引退も考えましたが、彼女自身のキャリアのため、日本を離れることができず、遠距離のまま関係を続けますが、最終的に、母親の意見に従い、2006年12月に離別しています。
由紀さおりと母親との関係性
由紀さおりさんの母親は、彼女の芸能活動を強くサポートしていました。
特に、再婚を考えた際には、前述の通り、母親の猛反対を受け、最終的にその意見に従っています。
また、由紀さんの芸名「由紀さおり」は、着物が大好きだった母親が「結城紬」にちなんで考案したもので、当初は「結城紗織」という漢字表記でしたが、柔らかい印象を持たせるために現在のひらがな表記になりました。
画像出典元:中川政七商店の読みもの
このように、由紀さおりさんの人生には、家族との深い絆や複雑な関係が影響しているようで、彼女の音楽活動の背景には、家族の支えや葛藤が存在しているのかも知れませんね。
由紀さおりの出産以外に関する情報
ここでは、由紀さおりさんの出産以外の情報について詳しく見ていきます。
由紀さおりは何歳で注目されたのか?
由紀さおりさんは、1969年3月10日にシングル「夜明けのスキャット」をリリースし、22歳で一躍注目を浴び、この曲はオリコン週間ヒットチャートで8週連続1位を獲得し、累計150万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
画像出典元:SIXTEEN RECORDS EP
「夜明けのスキャット」は、1番の歌詞がスキャット(「ルー、ルールルルー…」)で構成される独特の楽曲で、当時の音楽シーンに新風を吹き込み、この成功により、由紀さおりさんは日本の音楽業界で確固たる地位を築き、その後も多くのヒット曲を生み出しています。
由紀さおりの国籍と生い立ち
由紀さおりさん(本名:安田章子)は、日本国籍を持つ日本人で、一部で在日韓国人であるとの噂が流れたこともありますが、これは事実ではありません。
1946年11月13日、群馬県桐生市に生まれ、戦後、父親が飛行機工場の工場長を務めていましたが、工場閉鎖などの戦後処理を終えた後、彼女が3歳のときに神奈川県横浜市鶴見区に移住しまし、5歳年上の姉、安田祥子さんとともに、幼少期から音楽に親しむ環境で育ちました。
左から安田祥子・真ん中は由紀さおり・右は母親の安田ふさ
画像出典元:介護ポストセブン
姉の影響で、由紀さんも4歳のときに「ひばり児童合唱団」に入団し、童謡歌手としての活動を始め、この経験が、後の音楽キャリアの基盤となっています。
このように、由紀さおりさんは日本生まれの日本人であり、幼少期から音楽に囲まれた環境で育ち、その才能を開花させていきました。
由紀さおりの家系図に見る音楽一家のルーツ
姉の安田祥子さんはソプラノ歌手として活躍しており、二人で童謡コンサートを行うなど、音楽一家として知られています。
まだ昨日の余韻に浸り中😌お姉さんの安田祥子さんは83歳✨由紀さおりさんは78歳✨
信じられないくらい圧巻の歌声、由紀さんの佐久間のおばちゃんばりの爆笑トーク🤣松阪さんが入ると深みが出てまた良くて🎶
まだまだ童謡コンサート続けてほしい!
お話しもできてハイタッチもできるって贅沢過ぎた🥰 pic.twitter.com/Z7kxBNG6sl— ひーこ (@paddingtonluv) November 30, 2024
また、姉の安田祥子さんは、三菱財閥の創設者・岩崎弥太郎の血筋に嫁いでおり、由紀さんの家系は日本の経済や外交を支える一家と繋がりがあるようです。
まとめ|由紀さおりの出産と人生を振り返って
由紀さおりさんは、音楽業界での成功だけでなく、個人的な試練も数多く乗り越えてきました。
子どもを持つことは叶いませんでしたが、その分、多くの人々に音楽を通じて感動を届け続けており、また、彼女の家族関係や病気、さらには彼女の生い立ちに隠されたエピソードは、由紀さんの強い意志と努力を物語っています。
特に彼女が発信してきた音楽には、自身が経験してきた人生の深みが表れており、それが彼女を長きにわたって支持される理由のひとつとなっているようですね。
これからも、彼女の活躍を応援しながら、私たち自身も自分の人生を豊かにするヒントを彼女から学んでいきたいものです!!