小芝風花さんが、女優になる前はフィギュアスケートに打ち込んでいたと知って、「どれくらい上手だったの?」「全国大会で優勝したって本当?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
先に答えると、シングルでは西日本の大会で部門別8位、アイスダンスでは全日本ノービス優勝という公式記録があります。ただし、出場した種目と部門が違うため、ひとまとめにすると実績の意味が変わってしまいます。
この記事では大会の公式結果と本人のインタビューをもとに、成績、スケート仲間、競技をやめた理由、俳優の仕事に生きている経験まで紹介します。
小芝風花のフィギュアスケートの成績は?公式記録で確認
まずは、確認できた2つの大会結果を整理しましょう。「西日本8位」と「全国優勝」は、別々の大会・種目で残した記録です。
| 大会 | 出場部門 | 成績 |
|---|---|---|
| 2010年8月・第37回西日本中小学生フィギュアスケート競技会 | 6級ジュニア選手権女子 | 8位/61.67点 |
| 2011年10月・第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会 | ノービスダンス | 渡邊純也さんとの組で1位/29.35点 |
出典:日本スケート連盟の大会結果(2010年・6級ジュニア選手権女子/2011年・ノービスダンス)。
「西日本8位」は6級ジュニア選手権女子の成績
2010年の公式結果には、臨海フィギュアSC所属の小芝風花さんが、61.67点で8位と掲載されています。ここで押さえたいのは、「西日本中小学生大会の6級ジュニア選手権女子」という部門です。
「西日本8位」という短い紹介だけでは、どの年代・どの区分の大会かが分かりません。部門名まで確認すると、競技会に出場して順位を競う選手だったことが具体的に伝わります。
趣味として滑っていた、という説明では収まらない経歴ですね。一方で、この順位だけから当時の日本女子全体での位置まで決めつけることもできません。
全日本で優勝したのはアイスダンス!相手は渡邊純也
2011年の全日本ノービスでは、小芝風花さん・渡邊純也さん組が、ノービスダンスで優勝しています。公式の最終結果に掲載されているのは2組で、小芝さんたちが29.35点、2位の組が26.25点でした。
そのため、「女子シングルで全国優勝した」と説明するのは不正確です。大会名に加えて、アイスダンスという種目もセットで覚えると混乱しません。
また、表の61.67点と29.35点を比べて「シングルの方が上手だった」と考えるのも早計です。別の部門の得点を並べただけでは、競技の実力を同じ物差しで比較できないためです。
小芝風花のスケートの実力は?3回転ジャンプや練習仲間
小学3年から中学2年まで競技に取り組んでいた
2021年のSportivaインタビューによると、競技に取り組んだのは小学3年から中学2年まで。荒川静香さんのトリノ五輪金メダルが話題になったころ、家族と滑りに行ったことがきっかけでした。
本人は同インタビューで、野辺山の全国有望新人発掘合宿への参加や、3回転ジャンプを跳んでいたことも振り返っています。大会結果とこうした経験を合わせると、日々練習を重ねて技術を磨いていた選手像が見えてきます。
出典:Sportiva・小芝風花インタビュー前編(2021年3月19日、1・3ページ)。
友野一希・山本草太とは同じリンクで過ごした仲間
同じインタビューでは、平池大人先生のもとで友野一希さんと練習し、山本草太さんとも遊んだ思い出を語っています。
「小芝風花のフィギュアスケートの同期は誰?」と気になる方には、本人が名前を挙げているスケート仲間は友野さんと山本さん、と整理すると分かりやすいでしょう。同じ年に競技を始めたという意味の「同期」とまでは、ここでは断定しません。
小芝風花がフィギュアスケートをやめた理由は?
芸能界入りのきっかけもスケートだった
転機は、2011年の「ガールズオーディション2011」です。2012年のタレントデータバンクのインタビューでは、スケート選手のCMを見て出演に憧れ、姉が持ってきた雑誌から応募につながったと話しています。
最初から俳優になると決めていたわけではなく、審査を通過するうちに気持ちが変わり、グランプリ受賞を経て女優を目指す決意が固まったそうです。
スケートとは無関係なところで突然進路が変わったのではなく、スケートを通じて見ていた世界が、芸能界への入口にもなったのですね。
出典:タレントデータバンク『息もできない夏』インタビュー(2012年8月1日)。
週6日のレッスンと競技の両立が難しくなった
競技を離れた理由については、2022年のAll Aboutのインタビューが具体的です。当初はアイスダンスと芸能活動を両立するつもりだったものの、上京後は学校に加えて週6日のレッスンがあり、練習時間を確保できなくなったと説明しています。
両方とも片手間では続けられないと考え、芸能の仕事を選んだというのが本人の説明です。
「成績が悪かったから」「スケートが嫌いになったから」と単純化するより、新しい道に進むための選択として読む方が、当時の状況に合っています。
出典:All About・小芝風花インタビュー(2022年6月14日)。
スケート経験は『べらぼう』などの役作りにも生きている
競技から離れても、身につけたものがなくなったわけではありません。2025年7月のマイナビニュースでは、『べらぼう』の花魁道中で、高下駄を履いて歩く動きを体幹が支えたと話しています。
また『19番目のカルテ』では、柔道経験者という役の設定に合わせて体幹を鍛え直したそうです。注目したいのは、柔道の技を見せるためではなく、立ち姿や走り方といった小さな動きに、スポーツ経験者らしさを出そうとしていた点です。
こうした話を知ると、出演作を見るときに表情やせりふだけでなく、姿勢や動作にも目が向きます。子どものころの競技経験が、今は登場人物を表現するための引き出しになっていると感じられますね。
出典:マイナビニュース・柔道経験者役のために始めたこと(2025年7月13日)。
まとめ|小芝風花のスケート歴は種目と成績を分けると分かりやすい
小芝風花さんには、西日本中小学生大会の6級ジュニア女子8位と、全日本ノービスのアイスダンス優勝という記録があります。「全国優勝」という言葉だけでなく、誰と、どの種目で残した成績なのかまで知ると、経歴がよりはっきりします。
芸能界に進んだあとは、競技で培った身体の使い方を役作りに活用。スケート時代から俳優としての仕事までをたどると、華やかな出演歴とはまた違う、小芝さんの積み重ねが見えてきます。
セレブ論 – cereb-ron 
