『キングダム』などで躍動感のあるアクションを見せる山﨑賢人さん。実は、子どもの頃にはプロを目指してサッカーに打ち込んでいました。ポジションや背番号、どのくらい続けていたのかも気になりますよね。
山﨑賢人さんは小学生から中学3年まで、約8年間のサッカー経験があります。現在も所属事務所の公式プロフィールに、特技としてサッカーが掲載されています。
ただ運動が得意だったというだけでなく、本人はその経験を俳優としての原点にも挙げています。この記事では、サッカー時代の経歴と、今の仕事につながる考え方を、本人の発言や取材記事からたどります。
山﨑賢人のサッカー歴はいつからいつまで?
2016年の『アナザースカイ』出演を伝えたWEBザテレビジョンは、小学生から8年間サッカーを続け、クラブチームにも所属していたと紹介しています。
さらに2023年の『ウチのガヤがすみません!』での発言を伝えた記事では、本人が小学2年生から中学3年生までと説明しています。サッカー歴を知りたい場合は、この期間と約8年という紹介を合わせて見ると分かりやすいですね。
| 確認したいこと | 取材で確認できる内容 |
|---|---|
| 経験した時期 | 小学2年から中学3年までと本人が説明 |
| サッカー歴 | 約8年間と報道 |
| 活動の場 | クラブチームでも活動 |
| 現在の公式プロフィール | 特技にサッカーを掲載 |
テレビで少し体験しただけではなく、成長期に長く向き合ってきたスポーツだったことが分かります。
出典:WEBザテレビジョン(2016年5月28日)、E-TALENTBANK配信記事・本人の番組発言(2023年8月2日)
山﨑賢人のサッカーのポジションは?背番号は10番
日本タレント名鑑の2016年の記事では、山﨑さんのポジションはトップ下、背番号は10番だったと紹介されています。本人の番組発言を伝えた2023年の記事でも、小学生当時の背番号が10番だったことが確認できます。
ここで分けたいのが、ポジションの情報と、背番号のエピソードです。トップ下という紹介は日本タレント名鑑の記事に基づくもので、本人がどの年代もずっと同じ位置でプレーしていた、とまで断定するものではありません。
また、背番号10だから必ず特定のポジションだった、という見方もできません。背番号だけで役割を決めつけず、それぞれの取材で何が語られたのかを見るのがよさそうです。
サッカーに詳しくない方は、「トップ下」という言葉と背番号の話を別々に覚えておくだけでも十分。後年の俳優としてのイメージとは違う、少年時代の姿が浮かんできますね。
出典:日本タレント名鑑・サッカー経験者の紹介、本人が語った背番号のエピソード
選抜にも参加!プロを目指す中で感じた壁
同じ2023年の番組では、選抜に参加した経験にも触れています。その場にいたJリーグの下部組織の選手たちの技術の高さを見て、自分との差を感じたと話しました。
選抜の場で一緒になったことと、Jリーグの下部組織に所属していたことは別です。このエピソードを、「本人もJクラブのユース選手だった」と読み替えないようにしたいですね。
何となく続けていた趣味ではなく、上のレベルを見て将来を考えるほど本気だった。その一方、実際にうまい選手と向き合って、自分の進路を考え直す経験もしていたわけです。
出典:E-TALENTBANK配信記事・選抜での経験について
なぜサッカーを辞めて俳優になったの?
山﨑さんは、腰のけがや芸能界へのスカウトなどがあり、中学3年でサッカーを辞めたと説明しています。プロ選手を目指す道から、別の世界へ進むきっかけが重なった時期だったようです。
ただ、スカウトされた時点で、俳優としての将来がすべて見えていたわけではありません。2016年の『アナザースカイ』では、高校卒業のタイミングで俳優の仕事を続けたいという意識が強くなったと語っています。
作品づくりの楽しさを実際の現場で知り、職業として向き合うようになった。その流れを追うと、「サッカーを辞めたからすぐ俳優を目指した」と一文で済ませるより、進路を選んでいく過程が見えてきます。
出典:サッカーを辞めた経緯について、WEBザテレビジョン・俳優への進路を語った番組紹介
本人が語る「サッカーは俳優としての原点」
2024年4月20日、映画『陰陽師0』の公開記念舞台あいさつで、自分の原点を聞かれた山﨑さんはサッカーを挙げています。楽しみながら懸命に取り組むことや、個人とチームの両方が大切なことが、今の仕事にもつながると話しました。
同席した佐藤嗣麻子監督から足の速さを話題にされると、山﨑さんは、短距離走よりボールを追うときのほうが速かったという少年時代の感覚も披露しています。
印象的なのは、本人がサッカーの経験を運動能力だけで説明していない点です。自分の役割に力を注ぎながら、周りと一つの結果を目指す。そんな共通点を、今の仕事にも見いだしているのですね。
出典:マイナビニュース・『陰陽師0』舞台あいさつ取材(2024年4月20日)
サッカー経験だけでアクションができたわけではない
山﨑さんの身体の動きを見て、「昔サッカーをしていたから」と納得したくなることもあります。しかし、映画のアクションには、その役のための練習も欠かせません。
『キングダム2』についての集英社のインタビューでは、アクション監督の下村勇二さんが、本人の動きのクセを生かしたアクションを考えたことが紹介されています。相手への視線など、立ち回りのために教わった工夫にも触れていました。
スポーツで身につけた土台に、作品ごとの準備を重ねている。そう考えると、サッカー少年だった過去も、俳優として積み上げた技術も、どちらも見落とさずに楽しめます。
俳優になってから別のスポーツにも挑戦
2015年のオリコンのインタビューでは、その前年を振り返り、野球や水球、殺陣などを仕事で経験した楽しさを語っています。『弱くても勝てます』『水球ヤンキース』で、仲間と部活動に励む感覚を味わえたそうです。
サッカーをしていた過去と、作品の中で新しく挑んだ競技は別の経験。得意な一種目だけにとどまらず、役を通して身体の使い方やチームとの関わりを広げていった様子もうかがえます。
出典:オリコン・2014年の活動を振り返る本人インタビュー(2015年1月2日)
サッカーから作品づくりへ、変わらないチームへの思い
高校卒業直後の2013年のインタビューでも、山﨑さんは、みんなで一つのものを作る感覚や現場が好きだと話しています。俳優という仕事に責任を感じながら、自分なりの何かを見つけたいと語っていた時期です。
2024年にサッカーを原点に挙げた話と合わせると、長く続く思いが感じられます。競技と映画では目指す結果は違っても、周囲と関わりながら一つのことに取り組む楽しさは、両方にあるのでしょう。
山﨑賢人さんのサッカー歴を知る面白さは、上手だったかどうかの判定だけではありません。プロを目指した経験も、進路を変えた時間も、今の仕事を語る言葉につながっている。その歩みを知ってから作品を見ると、画面の中の動きや共演者との連携にも注目したくなりますね。
出典:シネマカフェ・高校卒業直後の本人インタビュー(2013年6月19日)
セレブ論 – cereb-ron
