堺雅人さんの大学はどこなのか、学部は何だったのか。調べていると「早稲田大学」と並んで「中退」という言葉も出てきます。『半沢直樹』『VIVANT』などで見せる緻密な演技は、学生時代とどのようにつながっているのでしょうか。
堺雅人さんは早稲田大学第一文学部に進学し、のちに中退しています。俳優としての原点を知るうえで欠かせないのが、大学の演劇研究会で過ごした時間です。
この記事では、大学・学部の基本情報に加え、中退へ至る経緯や、今の撮影現場にも生きている学生演劇の経験を紹介します。本人の話と、周囲が語る当時の評判を分けて見ていきましょう。
堺雅人の大学は早稲田大学!学部と卒業について
堺さんが在籍したのは、早稲田大学の第一文学部です。2013年に大隈講堂で行われたイベントを取材したスポニチは、第一文学部を中退した経歴を紹介しています。2026年の毎日放送の番組公式記事には、1992年に早稲田へ進学したと記載されています。
したがって、「早稲田出身」と表現されていても、卒業したという意味ではありません。出身大学と、卒業・中退の別を分けて確認する必要があります。
また、この記事では当時の学部名に合わせて第一文学部としています。今の大学案内に載る学部・コースの名称を、そのまま学生時代の所属に置き換えないようにしたいですね。
出典:スポニチ・早稲田大学でのイベント取材(2013年11月13日)、毎日放送・学生演劇時代の紹介(2026年8月6日)
早稲田へ進む前は官僚になる道を考えていた
初めから俳優になるためだけに大学へ進んだわけではありません。2023年の『日曜日の初耳学』での発言を伝えたスポニチによると、高校時代は国立大学の法学部へ進み、官僚になる将来像を持っていたそうです。
しかし国立大学の受験がうまくいかず、記念受験のつもりだった早稲田に合格。本人は、国語が得意だったことにも触れていました。その後、大学の初舞台で観客からお金を受け取る経験を通じて、仕事としての演劇を意識するようになったと振り返っています。
この話から分かるのは、進学時点の予定と、大学で実際に見つけた道が違っていたことです。「文学部だから俳優を目指した」と一言でまとめてしまうと、その変化が見えなくなってしまいます。
出典:スポニチ・本人が語った受験と初舞台(2023年7月31日)
堺雅人が大学を中退した理由は演劇への傾倒
2025年の『婦人公論』のインタビューで、堺さんは演劇研究会へ入った段階で、芝居に専念するためにいつか大学を辞めるだろうと感じていたと説明しています。実際の中退についても、親への申し訳なさを語りました。
同じ取材では、在学中に旗揚げしたばかりの劇団「東京オレンジ」に参加し、中退後も舞台とアルバイトを続けたと振り返っています。映像の仕事が増える転機には、2000年のNHK連続テレビ小説『オードリー』を挙げています。
大学を辞めた瞬間に、俳優として安定したわけではなかったのですね。中退という決断だけを華やかな成功談にするより、その後も舞台を続け、仕事の幅が広がっていった流れまで見ることが大切だと感じます。
出典:婦人公論・本人インタビュー、同・中退後の活動について(2025年11月20日)
演劇研究会と東京オレンジはどう違う?
経歴を読むと、早稲田大学演劇研究会と東京オレンジの両方が登場します。堺さんが大学で所属した演劇研究会と、舞台活動を行った劇団の名前を区別すると、話を追いやすくなります。
2023年のTOKYO FM『川島明 そもそもの話』では、小手伸也さんが学生時代を回想しています。小手さんによると、堺さんは演劇研究会に所属。一方、小手さん自身は演劇倶楽部に所属しており、同じ大学でも母体が別だったそうです。
「早稲田の演劇サークル」という括りだけでは、実際の活動場所や人間関係まで同じとは限りません。所属団体を確かめると、堺さんの経歴をほかの俳優の話と混同せずに理解できます。
出典:TOKYO FM・小手伸也さんが語った学生演劇時代(2023年11月18日)
「早稲田のプリンス」と呼ばれた学生時代の評判
同じラジオ番組で、小手さんは堺さんの芝居が学生時代から目を引いていたことを話しています。後に有名になってから付けられた評価だけではなく、同時代に学生演劇を見ていた人からの証言があるわけです。
ただし、当時から役者として特別扱いされていた、という話は少し事情が違うようです。2026年の毎日放送の記事では、堺さん自身が、劇研ではスタッフの仕事もできなければ認められず、自分は不器用で肩身が狭かったと明かしています。
舞台上での存在感と、本人が感じていた得意・不得意は別の話。周囲の評判だけを読んだときよりも、この両面を知ったほうが、学生時代の姿が身近に感じられますね。
出典:毎日放送・本人が語った劇研での経験(2026年8月6日)
今も残る劇研の習慣!顔の体操とケーブルの巻き方
大学時代の経験は、懐かしい思い出として語られるだけではありません。2026年8月10日の毎日放送の記事では、劇研で習った準備運動や顔の体操を、30年以上続けていると紹介されています。
さらに『VIVANT』の現場では、劇団時代に覚えた機材ケーブルの「8の字巻き」を自然に行い、撮影スタッフを驚かせたそうです。演技そのもの以外にも、学生時代に身につけたことが残っているのですね。
大学での演劇経験を知る面白さは、学歴の名前と演技力を結び付けることより、今も続く具体的な習慣が見えてくることではないでしょうか。
役者が目立つ場面でも、照明や衣装、撮影など多くの仕事が重なって一つの映像ができあがります。堺さんのエピソードからは、舞台の表側だけでなく、現場全体を経験した時間の長さも感じられます。
出典:毎日放送・劇研での経験と現在の撮影現場(2026年8月10日)
中退後も早稲田への思いは続いている
2013年11月12日には、ドラマ『リーガルハイ』の試写会とトークイベントで早稲田大学へ戻っています。映画.comの取材記事によると、堺さんはこの日、早稲田のラーメン店に立ち寄り、かつて所属した演劇研究会にも顔を出したと話しました。
中退という経歴だけを見ると、大学との関係がそこで途切れたように思えるかもしれません。しかし、学生生活を送った街や、芝居をしていた場所は、俳優になってからも話したくなる大切な場所だったようです。
出典:映画.com・早稲田大学でのイベント取材(2013年11月13日)
まとめ:堺雅人の大学時代は、俳優としての土台を知る入り口
堺雅人さんは早稲田大学第一文学部に進学し、演劇へ力を注ぐ中で中退しました。その後も東京オレンジなどで舞台を続け、映像作品へと活動を広げています。
学生演劇で経験した準備やスタッフワークが、長い時間を経て撮影現場にもつながっている。この点を知ると、堺さんの芝居を見るときも、完成したせりふや表情の奥にある日々の積み重ねを感じられそうです。
大学での出会いが俳優人生につながった例として、大泉洋さんの大学とTEAM NACSの原点も紹介しています。
セレブ論 – cereb-ron
