山田裕貴さんは、俳優になる前、プロ野球選手を目指していました。父親は元プロ野球選手の山田和利さん。では、なぜ同じ道を進まず、俳優の仕事を選んだのでしょうか。
本人が語っているのは、強いチームで周囲との力の差を感じ、中学で野球を辞めたこと。そして高校時代、甲子園で仲間を応援した経験が次の進路への転機になったという経緯です。
父の存在だけで語ると見落としてしまう、自分で選び直した道があります。野球を始めたきっかけから、今も語り継ぐ試合の思い出まで、本人の取材や番組公式情報をたどってみましょう。
山田裕貴の野球歴は?小学校から中学まで硬式クラブチームに所属
ニッポン放送の番組公式記事では、小学3年生頃から硬式野球のクラブチームに入り、中学時代は名古屋北リトルシニアに所属していたと話しています。出典:ニッポン放送 NEWS ONLINE・本人のラジオ発言
学校の野球部ではなく、硬式のクラブチームで取り組んでいたのがポイントです。TOKYO FM『Flow』でも、小中学生の頃に土日は朝から夜まで練習するような環境だったと振り返っています。出典:TOKYO FM『Flow』2025年9月7日放送回
| 時期 | 野球・進路との関わり |
|---|---|
| 小学3年生頃 | 硬式野球のクラブチームへ |
| 中学時代 | 名古屋北リトルシニアでプレー |
| 中学まで | プロを目指すなかで力の差を感じ、野球を辞める |
| 高校時代 | バレーボール部へ |
| 高校3年生 | 母校の甲子園出場をスタンドから応援 |
| その後 | 俳優を目指して演技を学ぶ |
野球の話が出てくるからといって、「高校球児として甲子園に出た」と理解すると違ってしまいます。本人が語っている甲子園の経験は、スタンドから仲間を応援したときのものです。
山田裕貴はなぜ野球を辞めた?本人が感じた力の差と父への意識
強いチームの中で、自分の限界を感じた
『Flow』では、周囲にパワーのある選手がいて、自分との力の差を強く感じたことを説明しています。中学生の時点で自分には難しいと思い、野球を辞めたそうです。
ここで大切なのは、本人が当時の気持ちとして語っていることです。実際に続けていたらどこまで行けたか、という結果は誰にもわかりません。「プロになる力がなかった」と第三者が決めつける話ではなく、若い本人がその時点でどう感じたかという経験なのですね。
「父を超えたい」という思いも大きかった
マイナビウーマンの本人インタビューでは、父を強く意識するあまり、野球を楽しくできていなかったと振り返っています。憧れの存在であると同時に、自分が超えたい大きな壁でもあったことが伝わってきます。出典:マイナビウーマン・山田裕貴インタビュー
周囲との比較と、身近にいるプロ選手との比較。その両方があったと知ると、「野球が嫌いになった」の一言では収まらない気持ちが見えてきます。
山田裕貴の父親・山田和利はどんな選手?公式記録で経歴を確認
父の山田和利さんは、プロ野球でプレーした元選手です。日本野球機構(NPB)の公式記録には、東邦高校出身、1983年ドラフト4位と掲載されています。年度別の成績には中日と広島での出場記録があります。出典:NPB「山田 和利・個人年度別成績」
| 項目 | NPB公式記録の内容 |
|---|---|
| 氏名 | 山田和利(やまだ・かずとし) |
| 生年月日 | 1965年6月3日 |
| 投打 | 右投右打 |
| 出身校 | 東邦高校 |
| ドラフト | 1983年・4位 |
野球に詳しくない方には、「父も有名だった」という紹介だけでは伝わりにくいかもしれません。山田さんにとっては、テレビの中で打席に立つ父が、ごく身近な憧れの存在だったのです。
一方、古いインタビューに載っているコーチの肩書きを、現在の所属だと読み替えることはできません。この記事では、公式記録で確認できる選手としての経歴を紹介しています。
父に野球を強制された?始めたのは本人の憧れから
ニッポン放送の番組では、父から野球をするよう言われたことはなく、好きなことをするよう促されていたと説明しています。山田さん自身が父をかっこいいと思い、野球をやりたくなったそうです。
父がプロ野球選手だったことと、父に野球を強制されたことは別です。本人の話を読むと、始めたときの憧れと、自分が結果を求めるようになったときの苦しさの違いがわかります。
家族に同じ仕事の人がいると、周囲はつい「その道を継ぐのが自然」と見てしまうもの。山田さんの話では、その期待を本人がどう受け止めていたかが、進路を考える大きな要素になっています。
甲子園で仲間を応援した日が、俳優を目指す転機に
高校3年生のとき、母校が甲子園に出場。かつて一緒に野球をした仲間がグラウンドに立つ姿を応援し、自分が辞めたことへの後悔を強く感じたと、マイナビウーマンの取材で語っています。
その経験から、次に自分で選んだことは続けようと決めたそうです。友人が自分の言動で笑ってくれることや、人前に出る楽しさも、俳優へ進むきっかけとして話しています。
「元プロ野球選手の息子だから芸能界へ」という単純な順番ではありません。野球を離れた後に何をしたいか考え、人の心を動かす別の仕事へ向かったのですね。
済生会の本人インタビューでも、父の言葉が自分を変えたこと、役のためにできることに取り組む姿勢が語られています。参考:済生会「この人」山田裕貴さん
中学時代には全国大会を決める試合の思い出も
野球時代は苦しかった話だけではありません。ニッポン放送では、全国大会出場を懸けた試合で三塁打を打ち、その後、本塁へ走った場面をユーモアを交えて語っています。
監督は三塁打が出場決定につながったと紹介してくれたものの、本人の説明では走塁の判断にはミスもあり、相手の送球がそれて得点になったそうです。自分の活躍だけをきれいな話にしないところが、印象に残るエピソードです。
野球を辞めたという結果だけを見ると、それまでの時間まで失敗だったように見えてしまうことがあります。しかし、本人には仲間や監督との具体的な思い出が残っている。進路を変えたことと、その時間の価値は別なのだと感じますね。
山田裕貴の野球についてよくある疑問
高校では野球部だった?
本人は中学で野球を辞め、高校ではバレーボール部に入ったと話しています。甲子園へ行ったのは、母校を応援する生徒としてです。
父親は誰?
元プロ野球選手の山田和利さんです。NPB公式記録で選手時代の経歴と成績を確認できます。
野球を辞めた理由はけが?
今回参照した本人の話では、周囲との力の差や父を意識する気持ちを理由として挙げています。けがが原因だったという説明はしていません。
まとめ|山田裕貴の野球経験は、俳優を選ぶまでの大切な時間
山田裕貴さんは父・山田和利さんに憧れて野球を始め、小中学生の頃は硬式クラブチームでプレーしていました。中学で辞めた後、甲子園で仲間を応援した経験が、次に選ぶ道への覚悟につながっています。
野球を離れた理由だけでなく、その後に何を選んだか。そこまでたどると、俳優としての山田さんの言葉も、また違った重みで受け取れそうです。
俳優になる前の経験に興味がある方は、趣里さんのバレエと進路の転機や、吉岡里帆さんの書道と俳優への挑戦もあわせてどうぞ。
参考資料は本文中に記載。確認日:2026年10月21日。
セレブ論 – cereb-ron