佐々木蔵之介の大学は神戸大学農学部!東京農大からの再受験と俳優への道

稲穂と酒米、実験用フラスコ、小さな舞台を組み合わせた農学と演劇のイメージ

佐々木蔵之介さんが神戸大学の農学部出身と知って、「俳優なのに、なぜ農学部?」と驚いた人もいるのではないでしょうか。東京農業大学の名前も出てくるため、どの大学を卒業したのか気になるところです。

先に整理すると、佐々木蔵之介さんは東京農業大学に1年間通った後、大学を受け直し、神戸大学農学部を卒業しています。大学選びには、実家の造り酒屋を継ぐという将来像が関わっていました。

その一方で、大学では演劇と出会い、卒業後は広告代理店へ。最初から俳優になる一本道を歩んでいたわけではありません。本人のインタビューをもとに、学び・就職・演劇がどのようにつながったかをたどります。

佐々木蔵之介の出身大学・学部は神戸大学農学部

佐々木さんの学歴は、舞台を手がける野田地図の出演者紹介でも、神戸大学農学部卒業と記載されています。俳優としての活動が中心になる前に、大学で農学を学び、卒業した経歴です。

確認したい項目本人の説明・公表資料で分かること
卒業した大学神戸大学
学部農学部
その前に通った大学東京農業大学に1年間
大学を変えた経緯本人は国立大学を受け直したと説明
大学での出会い演劇研究会「はちの巣座」
卒業後の仕事広告代理店に勤務しながら演劇も継続

ここで、農学部に進んだことと、のちに俳優を選んだことを切り離してしまうと、学生時代の選択が分かりにくくなります。当時は家業に関わることを考え、そのための勉強として進路を選んでいました。

出典:野田地図・佐々木蔵之介 出演者紹介

東京農業大学から神戸大学へ。編入ではなく再受験?

二つの大学名が出てくる理由について、佐々木さんは2025年9月の文春オンラインのインタビューで説明しています。東京農業大学に1年通い、その後、地元に近い国立大学を受け直したという経緯です。

本人が挙げた理由は費用でした。東京で暮らし、私立の理系大学に通うとお金がかかるため、地元のほうで国立大学を受験し直すことを考えたそうです。

検索では「大学 編入」という言葉も見かけますが、本人の説明は「受け直した」というもの。この記事でも、その言葉に沿って再受験と整理しています。学年を引き継ぐ編入制度を利用した、とまでは断定しません。

大学名が二つあるからといって、どちらかが誤情報とは限らないのですね。通っていた大学と、卒業した大学を分ければ、経歴の流れがはっきりします。

出典:文春オンライン・本人インタビュー(2025年9月28日)

農学部を選んだのは家業のため。卒論では酒米を研究

佐々木さんの実家は京都の造り酒屋です。島津製作所の広報誌『ぶーめらん』の本人インタビューでは、高校で文系・理系を選ぶ時期に家を継ぐ道も考え、理系から農学部へ進んだと語っています。

大学の卒業論文では、山田錦などの酒米の起源をテーマに選びました。遠心分離器などを使い、酒米を調べていたことも明かしています。農学部という肩書きだけでなく、酒造りの原料に関わる内容を学んでいたことが分かります。

舞台やドラマの印象からは意外ですが、当時の将来像を知ると自然な選択に見えてきます。俳優になるための学部を選んだのではなく、家業に結び付く分野を学んでいたのです。

出典:島津製作所『ぶーめらん』VOL.52・本人インタビュー

大学の演劇研究会「はちの巣座」が大きな入り口に

神戸大学で演劇と出会った経緯は、2018年のNumero TOKYOでも詳しく話しています。入学時のオリエンテーションで高校の同級生と会い、新入生歓迎公演を一緒に見たのがきっかけでした。

会場は学生会館の小さな教室。大きな劇場とは違う空間で、学生たちが自分で作った芝居をしている姿に、大学生の自由さを感じたそうです。公演の後、二人はその場で入部を決めました。

演劇を始めた動機には、人前で話す度胸をつけたいという思いもありました。2025年の『婦人公論』の取材では、将来、酒造りの仕事で営業もする必要があるのに、人前で話すことが得意ではなかったと説明しています。

家業に役立つように始めた演劇が、その後の仕事になる。最初からプロの俳優を目指した入部ではなかったことが、面白いところです。

出典:Numero TOKYO(2018年10月7日)、婦人公論・本人インタビュー(2025年9月号、2026年1月再配信)

大学2年で「惑星ピスタチオ」へ。それでも俳優志望ではなかった

2017年のシネマトゥデイの取材では、大学2年のとき、先輩に誘われて劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加したと振り返っています。

ここでも本人は、その時点で俳優として生活しようとは考えていなかったと説明しています。演劇に深く関わるようになったことと、職業にすると決めることの間には、まだ距離があったのですね。

野田地図の当時の紹介には、旗揚げ公演から1998年の退団まで全公演に出演したとあります。学生時代に始めた活動が卒業後にも続き、長く舞台経験を積む土台になりました。

出典:シネマトゥデイ・本人の取材(2017年1月22日)、野田地図・出演者紹介

大学卒業後は広告代理店へ。家業の売り方を学びたかった

卒業後は大阪の広告代理店・大広に就職しました。2023年の『日曜日の初耳学』を伝えたデイリースポーツの記事では、お酒をどう売り、どうPRするかも大切だと考えたことが紹介されています。

同じ会社に同期として入社したのが、ますだおかだの増田英彦さんです。記事では机も近かったと本人が話しており、後に芸能界で活動する二人が、会社員として出会っていたことが分かります。

就職ジャーナルの本人インタビューによると、勤務は2年半。営業部で官公庁系などの仕事を担当していました。新聞やテレビの広告を出すという一般的なイメージとは、少し違う部署だったそうです。

当初は就職したら劇団をやめるつもりでしたが、大阪勤務となり、神戸の稽古場へ通えることから継続しました。ここでも、就職と同時に芝居一本に絞ったわけではありません。

出典:デイリースポーツ(2023年10月22日)、就職ジャーナル・本人インタビュー(2020年1月30日)

退職の理由は「まだ終わらせたくない」という気持ち

会社員と舞台を続けるなかで、東京の劇団から客演の誘いが届きます。稽古と本番を合わせて数か月必要となり、仕事をしながらの出演は難しいものでした。

一度は断ったものの、演劇をまだ終わらせたくないと感じ、芝居の道を選びました。就職ジャーナルでは、退職を伝えた際、上司が休職という選択肢を示してくれたことも振り返っています。

成功する確信があったからという説明ではなく、続けてきたものを終えられないという思い。この決断を知ると、後から見た華やかな経歴にも、迷いや偶然が重なっていたと感じます。

出典:就職ジャーナル

「蔵之介」という芸名も、大学の新人公演から

いまではおなじみの芸名にも、大学の演劇活動が関わっています。『婦人公論』の取材では、新人公演のチラシを入稿するため、先輩から急いで芸名を考えるよう言われたと話しています。

そこで父親が、酒蔵との縁や大石内蔵助にあやかって提案したのが、佐々木蔵之介という名前でした。当時は、本人も父親も、その名前をずっと使うとは思っていなかったそうです。

入部した場所だけでなく、俳優として名乗る名前にも学生時代の出来事が残っている。大学で演劇に出会った意味が、こんなところにも表れています。

出典:婦人公論・本人インタビュー

会社員の経験も、俳優の仕事に生きている

シネマトゥデイの取材で佐々木さんは、広告代理店で働いた経験が、興行を意識することにつながっていると話しています。作品は役を演じるだけで成立するのではなく、取材などを通して届ける仕事も大切だという考えです。

農学部、広告会社、演劇。一見別々の経歴も、学ぶ、売り方を考える、人に届けるという視点で見るとつながります。大学から俳優へ遠回りしたと決めつけるより、それぞれの経験が残っていると読むほうが、本人の歩みに近いのかもしれません。

出典:シネマトゥデイ

まとめ:神戸大学での学びと演劇が、将来の分岐点に

佐々木蔵之介さんは、東京農業大学に1年通った後に再受験し、神戸大学農学部を卒業しました。家業を考えて酒米を研究し、人前で話すための演劇にも出会っています。

卒業後の就職も家業を見据えたものでしたが、続けていた舞台を終えたくないという気持ちから俳優へ進みました。大学名だけでなく、その時々に何を考えて選んだのかを知ると、経歴がより立体的に見えてきます。

関連:阿部寛の大学・専攻と就職活動から俳優への転機

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