鈴木亮平さんの大学が気になったとき、まず浮かぶのは流暢な英語かもしれません。ただ、大学時代の話をたどると、語学だけでなく演劇、脚本づくり、俳優を目指して動き回った日々も見えてきます。
鈴木亮平さんは、東京外国語大学外国語学部欧米第一課程の英語専攻を2006年に卒業しています。所属事務所の公式プロフィールにも、東京外国語大学の英語専攻卒業と掲載されています。
この記事では大学名や専攻を確認したうえで、なぜ外語大を選んだのか、何を研究し、どんな学生生活を送ったのかを紹介します。本人の言葉が残る大学広報誌やインタビューを中心に整理しました。
鈴木亮平の出身大学は東京外国語大学!学部・専攻・卒業年を確認
学歴の基本情報は、ホリプロの公式プロフィールと、母校が発行する広報誌『GLOBE Voice』2011年・第4号で確認できます。
| 項目 | 在学当時の情報 |
|---|---|
| 大学 | 東京外国語大学 |
| 学部・課程 | 外国語学部欧米第一課程 |
| 専攻 | 英語専攻 |
| 卒業年 | 2006年 |
| 大学での活動 | 演劇サークルで舞台や制作に取り組む |
大学の広報誌に卒業生として登場しているため、「通っていたらしい」という噂だけの情報ではありません。なお、ここに記載した学部・課程名は本人の在学当時のものです。現在の募集区分とそのまま同じだと考えず、学歴を見るときには当時の名称で確認すると混乱しません。
英語専攻というと会話の練習ばかりを想像するかもしれませんが、鈴木さんの関心は言葉の仕組みにも向いていました。後述する卒論のテーマにも、その一面が表れています。
なぜ東京外国語大学を選んだ?役者の夢と英語への興味が重なった
鈴木さんは2013年のCREAのインタビューで、東京へ出てきたのはプロの役者を目指すためだったと説明しています。高校時代には、役者として活動するならいろいろな言語を学びたいという気持ちもあり、外語大を受験したと話していました。出典:CREA・鈴木亮平インタビュー(2013年8月16日)
さらに、2018年のマイナビ学生の窓口の取材では、役者を目指して東京の大学へ行きたかったこと、英語が好きだったことに加え、経済面や受験科目も考えていたと振り返っています。俳優になってもすぐに生活できるとは限らないと考え、私立ではなく国立を選ぶ判断もあったそうです。
夢だけで進路を決めたのではなく、好きな科目と現実的な条件も合わせて考えていたのですね。出典:マイナビ学生の窓口「好きなことにとことん、まっすぐ」(2018年1月24日)
今の活躍を知っていると、俳優になることが最初から決まっていたようにも見えます。しかし、進学先を考えた頃には、生活や仕事への不安もあったはずです。得意なことを学びながら、挑戦したい仕事に近づく場所を選んだ、と考えると進路の背景がよく伝わってきます。
大学の卒論は映画タイトル!英語だけでなく言葉の印象を研究
母校の広報誌によると、鈴木さんは言語学や意味論を扱う宗宮喜代子教授のゼミに所属していました。卒論では、映画のタイトルに見られる法則を認知言語学の視点から扱ったことが紹介されています。
同誌で本人は、濁音があるかどうかによって言葉の印象が変わることを、映画のジャンルと結びつけて説明しています。映画好きの関心を、言葉の研究に持ち込んでいたところが面白いですね。出典:東京外国語大学『GLOBE Voice』第4号、16ページ(PDF)
これは卒業論文の全文を公開した資料ではなく、本人の研究内容を紹介する取材記事です。それでも、英語を話せるようになることだけでなく、言葉が人にどう伝わるかにも興味があったことがわかります。
映画を見ること、言葉を学ぶこと、演じることが、大学生活の中で別々に切れていなかったのが印象的です。外国語大学と俳優という組み合わせが意外に見えても、本人の関心からたどると自然につながっていたのでしょう。
演劇サークルでは出演だけでなく脚本・演出も経験
同じ大学広報誌では、マイケル・ジャクソンをテーマにした芝居で、鈴木さんが脚本や演出、舞台監督、振り付けなどに携わり、自分でも出演した経験が紹介されています。
台本を読んで舞台に立つだけでなく、公演全体をつくる側でもあったということ。役を演じる楽しさだけでは見えない、準備や周囲とのやり取りも経験していたのですね。
また、2019年の映画『ひとよ』のイベントでは、大学時代の舞台が終わった後、お客さんが感動して泣いている姿を見た思い出を語っています。会場は阿佐ヶ谷にある、50人ほどが入る小さな劇場だったそうです。初めて演じた役は坂本龍馬で、この経験を俳優として生きる決意と重ねて振り返りました。出典:ABEMA TIMES・『ひとよ』イベント取材(2019年)
大きな映画館やテレビ画面の向こうで見る俳優の原点が、小さな客席での反応だった。役者になりたいという憧れが、実際に誰かへ届いた手応えへ変わった瞬間として心に残る話です。
勉強も演劇も完璧だった?本人は「なんとか卒業」と振り返る
語学力や出身大学を知ると、学生時代もすべて余裕でこなしていたように思えてきます。しかし、前述のマイナビ学生の窓口の取材で、鈴木さんは演劇に夢中になり、卒業はぎりぎりだったとユーモア交じりに語っていました。授業の中では、特にゼミが好きだったそうです。
また、飲食店のアルバイトから俳優の仕事が直接決まったわけではないものの、店長から接客や仕事への姿勢を教わったことが役立っていると振り返っています。夢へ一直線に見える歩みの中にも、その場ですぐ成果が出たわけではない経験があるのですね。
学歴の肩書だけで「何でもできる優等生」と決めつけず、本人が語った忙しさや学びにも目を向けると、学生時代の姿がより具体的になります。
学生時代から芸能事務所へ!モデルを経て俳優の道へ進んだ
大学に演劇サークルがあっても、所属しているだけでプロの仕事が決まるわけではありません。鈴木さんも、芸能事務所へ自分から連絡するところから始めています。
CREAの取材では、50社ほどに働きかけたものの所属につながらず、その中で身長を生かしてモデルから始めてはどうかと勧められたことを明かしています。その後、モデルとしての経験を経て俳優の仕事へつながっていきました。
2023年の『ボクらの時代』でも、学生の頃に多くの事務所やプロダクションへ電話した話が取り上げられています。今の実績からは想像しにくい、入口を探し続けた時期があったのですね。出典:スポニチ・番組での本人の発言紹介(2023年2月19日)
大学卒業と同時に、すんなり人気俳優への道が開けたわけではありません。学生時代の舞台経験と、仕事を得るための行動は両方必要だった。その順番を知ると、学歴だけを切り取った紹介では見えない歩みが伝わってきます。
卒業後も母校へ!初心を思い出す円形通路のエピソード
2021年の『爆買い☆スター恩返し』では、鈴木さんが学生時代に暮らした調布や母校を訪れました。学生演劇で大道具を担当し、材木店へ通っていたことも紹介されています。
映画の撮影所の関係者と知り合えるかもしれないと考え、飲食店でアルバイトをしていた話も登場。芝居の練習、舞台づくり、働く場所まで、学生生活のあちこちに俳優を目指す気持ちがあったようです。
母校を案内した際には、初心を思い出したいときに円形通路へ来ると説明し、大河ドラマの出演中も、そこを歩きながらせりふを覚えていたと明かしました。出典:めざましmedia・母校訪問の紹介(2021年11月23日)
卒業した場所が、過去の思い出だけでなく、仕事を続ける中でも戻れる場所になっている。大学時代の経験が今にもつながっていることを感じるエピソードです。
まとめ|鈴木亮平の大学時代は、語学と演劇の両方があった
鈴木亮平さんは東京外国語大学の英語専攻を2006年に卒業しました。大学では言葉の研究に取り組みつつ、演劇サークルで脚本や演出も経験。自分から芸能事務所へ働きかけ、モデルを経て俳優の道へ進んでいます。
「英語が得意な高学歴俳優」という紹介の奥には、小さな舞台や大道具づくり、アルバイトなど具体的な学生生活がありました。出身大学を知るだけでなく、その場所で何に夢中になったのかまでたどると、鈴木さんの歩みをより身近に感じられます。
舞台と大学生活のつながりに関心がある方は、ムロツヨシさんの進路と俳優への歩みや、佐々木蔵之介さんの大学時代もあわせてご覧ください。
セレブ論 – cereb-ron
