光浦靖子さんの出身大学は、東京外国語大学です。クイズ番組での活躍や本好きのイメージから、「学生時代もずっと優秀だったのかな」と思う人もいるかもしれません。
ただ、本人が語る大学生活は、順風満帆という言葉だけでは収まりません。インドネシア語を専攻したものの授業についていけず、卒業までは8年。その後、50歳でカナダへ渡り、もう一度学ぶ生活に踏み出しました。
光浦さんの大学について知るなら、学校名だけでなく、卒業までの道のりと、後の学び直しを合わせて見ると人物像がよく伝わります。本人のインタビューを中心に、確認できることを整理しました。
光浦靖子の出身大学は東京外国語大学!インドネシア語を専攻
日本漢字能力検定協会の本人インタビューには、東京外国語大学卒業と記載されています。在学当時の学部は外国語学部で、専攻した言語はインドネシア語でした。
| 気になること | 確認できる情報 |
|---|---|
| 出身大学 | 東京外国語大学 |
| 在学当時の学部 | 外国語学部 |
| 専攻した言語 | インドネシア語 |
| 卒業の有無 | 卒業 |
| 卒業までの期間 | 本人によると8年 |
| 相方・大久保佳代子さんの大学 | 千葉大学 |
出典:日本漢字能力検定協会・光浦靖子さんインタビュー、マイナビウーマン・本人インタビュー(2015年3月26日)
外語大出身と聞いて、英語を専門に勉強していたと受け取るのは早計です。光浦さんが大学で専攻したのはインドネシア語。後年のカナダ留学で学んだ英語とは、時期も目的も分けて見るとわかりやすくなります。
「外国語学部」と「言語文化学部」の表記があるのはなぜ?
光浦さんの学歴を調べると、学部名の表記に戸惑うこともあります。東京外国語大学は2012年、外国語学部を改編して言語文化学部と国際社会学部を設置しています。現在の学部構成と、光浦さんが在学した頃の名称が異なるためです。出典:東京外国語大学・歴史と沿革
新しい学部名へそのまま置き換えてしまうより、本人の在学当時の名称と、専攻した言語を確認するのが確実です。この記事では、当時の外国語学部でインドネシア語を専攻した、という形で紹介しています。
なぜ東京外国語大学へ?東京に出たい気持ちが原動力だった
光浦さんは、10代の頃、とにかく東京へ行きたいと思っていたと話しています。将来の職業がはっきり決まっていたというより、東京に出れば何かが変わるのではないかという憧れがあったそうです。
2021年のラジオ番組『TOKYO SPEAKEASY』でも、親から私立は難しく、国公立大学という条件を出されていたことを説明しています。進学先や専攻についても、自分が合格できるところを考えて選んだという趣旨の発言をしていました。出典:スポニチ・ラジオでの本人の発言紹介(2021年7月6日)
漢検のインタビューでは、高校の先生の勧めで外語大を受験したことや、塾に通わず独学で勉強していたことも明かしています。受験に必要のない理系科目まで勉強してしまったという、当時を振り返る話もありました。
今の経歴だけを見ると、言語への明確な目標を持って最短距離で進んだように見えるかもしれません。けれど、本人の語る進路選びには、住む場所を変えたい気持ちや家庭の条件もありました。大学は、専門を学ぶ場所であると同時に、地元の外へ踏み出すきっかけでもあったのですね。
大学卒業まで8年かかった理由は?本人は授業での苦戦を語っている
日本漢字能力検定協会の取材で、光浦さんはインドネシア語の授業についていけず、2年生くらいから大学へ行かなくなったと話しています。
難しい大学に合格することと、入学後にその専門を学び続けることは別の課題だったのでしょう。入試に向けて覚える勉強から、大学で言語を身につける生活へ移る中で、苦戦した様子が伝わってきます。
一方で、中退したわけではありません。2015年のマイナビウーマンの取材では、入学から卒業まで8年かかったことを本人が明言。芸能界で好きなことをしてもよいが、卒業証書は持ってくるようにという親との約束があったと説明しています。
「卒業に8年」と「大学中退」は違います。時間はかかったものの、最終的には卒業したというのが、本人の語った経歴です。また、今回確認した取材だけから、各学年で何回留年したかまで細かく決めつけることはできません。
本人は自分の学生時代を厳しく振り返っていますが、その言葉だけを切り取って失敗談にするのも、少し違う気がします。思うように通えなかった時期がありながら、卒業までたどり着いた。後から学び直すことへの思いを知るうえでも、大切な背景です。
大久保佳代子とは同じ大学?別々の大学からお笑いへ
オアシズの二人は、大学で初めて出会ったコンビではありません。光浦さんと大久保佳代子さんは同郷で、小学校から高校まで一緒でした。その後、光浦さんは東京外国語大学、大久保さんは千葉大学へと進んでいます。
千葉大学の公式インタビューで、大久保さんは、大学を問わず参加できるお笑いサークルへ光浦さんから誘われたと振り返っています。別々の大学の学生でも、一緒に活動できる場所があったということです。出典:千葉大学『ちばだいプレス』大久保佳代子さんインタビュー(2022年7月1日)
光浦さん自身も、大学生活やアルバイトがうまくいかない中で、苦手なことにあえて挑戦しようとお笑いのオーディションへ向かったと語っています。最初から明快な芸人志望だったというより、模索の先に今の仕事があったようです。
友人関係、学業、仕事探しは、いつも同じようにうまくいくわけではありません。大学で苦戦していた時期にも、幼なじみとのつながりが新しい活動へ結びついていました。
外語大卒なのになぜ英語留学?本人が語った学びへの心残り
2021年の好書好日のインタビューで、光浦さんは、大学時代に周囲の友人たちが留学へ出ていたことや、自分は学べるときに十分学んでいなかったという心残りを話しています。
カナダへ旅行した際、北斗晶さんから留学を勧められたことも、行きたい気持ちが具体的になるきっかけだったそうです。出典:好書好日『50歳になりまして』インタビュー(2021年6月19日)
同年のラジオでは、英語で映画や本を直接楽しめることへの憧れも語っています。大学卒業という肩書があっても、今、自分ができるようになりたいことは別にある。そこを率直に話しているのが、光浦さんの学び直しの印象的なところです。
「外国語大学を出たのだから、どの言語でも自由に話せるはず」という見方では、本人の実感は見えてきません。専攻した言語、受験時の勉強、実際の会話、新たに学びたい言語を、それぞれ区別して考える必要があります。
50歳からのカナダ留学と、もう一度学生になる経験
当初は2020年春にカナダへ留学する予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大で延期。その後、2021年に50歳でカナダ・バンクーバーでの生活を始めています。
2025年に公開された本人のエッセイでは、外語大卒という理由から語学力を高く見積もられることへの戸惑いや、英語を学ぶ中で気づいたことがつづられています。カレッジでの日々を記した著書『ようやくカレッジに行きまして』も刊行しました。出典:文藝春秋「本の話」・光浦靖子さんのエッセイ
大学時代の後悔を、ただ後悔のまま語り続けるのではなく、後の生活で別の学びへ踏み出した。その変化まで見ると、「8年かけて卒業」という数字の印象も変わってきます。
若い頃に一度うまくいかなかったからといって、学ぶ時間がそこで終わるわけではない。光浦さんの経歴は、学校名や卒業までの年数だけでは伝わらない、学びとの長い付き合いを感じさせます。
まとめ|光浦靖子の大学生活は、後の学び直しにもつながっている
光浦靖子さんは東京外国語大学でインドネシア語を専攻し、8年かけて卒業しました。東京に出たいという気持ちで受験へ取り組み、入学後は授業で苦戦する一方、大久保佳代子さんとお笑いの活動にも踏み出しています。
そして50歳でカナダへ。学生時代の心残りを率直に語りながら、再び学ぶ環境へ進んだことも、光浦さんの大切な一面です。肩書だけで「語学が得意な人」とまとめず、本人が語った迷いや挑戦まで知ると、その歩みをより身近に感じられます。
相方の学生生活については、大久保佳代子さんの大学・受験勉強・卒論の記事でも紹介しています。
セレブ論 – cereb-ron 
